出前の寿司
論文の輪読でZoom会議に参加している時、祖父が亡くなったと連絡がきた。
この前会ったのは高齢者施設から病院に移る前で、「好きなものを食べさせてもらえない」と不満を漏らしていた。
施設の前の庭が、細やかな花でおずおずと色づき始めた頃だった。
施設にくるまで、祖父は長い間一人暮らしをしていて、自分で好きなものを作って食べていた。
その前に会った時はお年玉をもらったのだった。
祖父は生粋の江戸っ子で、気前がよい。毎年「いくらほしい?」と聞かれて困ってしまう。
この時も例によって困ってしまって、いくらでも大丈夫…と言うしかなかった。
いつも通りだった。でもなんとなく心の片隅で、もしかしたらこれが最後のお年玉になるかもしれないと感じていたような気がする。
祖父は戦争を体験したことがあり、若い頃は小説家を志望しており、また優秀な営業部のサラリーマンでもあった。
家に遊びにいくと臨場感のあるたくみな話術で戦争の体験を楽しげにもみえる様子で語ってくれた。
目の前に風景が浮かぶようだったし、小説を読んでいるようでもあった。
あらすじは
徴兵されて言われた先へ出向いた祖父が、もう乗る飛行機はないから帰れと言われ、
すぐに帰るわけにもいかないから兵士用の購買部(?)のようなところで働くというお話。
なんだか筋をちゃんと覚えていなくて申し訳ないのだけれど、楽しげに話している姿が目に焼き付いている。
子供の頃は、ときどき祖父の家に遊びにいった。
古びた香りのする箪笥から、囲碁やら独楽(こま)などを取り出して遊んだ。
囲碁についてはルールを知らないのでジャラジャラとした石に手を突っ込んで感触を楽しんだり、好きなように並べたりして遊んだ。
独楽をまわすのは結構難しかったけれど、コツを教えてもらったこともあった。いまでもきっと独楽をまわせる。
なんにせよ、こういうのは親の用事が終わるまでのちょっと気怠い暇つぶしではあったのだけれど、平穏な時間だった。畳に落ちているあたたかな午後の太陽の光を覚えている。
ひととおり話が済むと祖父は出前の寿司をとってくれた。
何にでもお得意先があってブランドが好きでちょっと見栄っ張りな、華やかなところがある人だった。
小学生の半ばで地方に引っ越したり、そのあとも留学したりなどもあり、
祖父とたくさんの時間を過ごせたわけではないのだが、穏やかで幸せな時間を私はいつでも思い出すことができる。